子どもの前に石ころが落ちているのを見つけたら。自分の眼鏡と他人の眼鏡。

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わが家には、高校生×1、中学生×2の子どもがいます。

学校や部活、習い事などで、子どものママ同士、お付き合いをしなければならない機会はたくさんあります。

わたし達が子どもの頃とは違って、今は保護者が関わることがめちゃめちゃ多いです。

そのなかで、「どうも、わたしの考えとは違うなぁ」と思う人と一緒に何かをやっていかなければならないこともあります。

回りくどい前置きが長くなりました。

子どものための役員を一緒にしていて、「話がかみ合わないなぁ」と思っていた人がいました。

ある日、彼女が「わたしは、子どもの前に落ちている石は、全部拾ってあげたいのよ」とポツリつぶやきました。

「そ~いうことか!」

その一言を聞いたことで、腹落ちしました。

めっちゃスッキリ!

わたしは、子どもの前に石が落ちていることに気が付いたら、見守ります。

「どうするかなぁ」と観察します。

「失敗しないように」と祈ることもありませんし、子どもがどう対応するか、ということのみに興味があります

彼女にとって石ころは、「避けるべき邪魔なもの」=「悪いもの」ですが、
わたしにとっては「子どもの成長に役立つかもしれない種」=「良いもの」なのです。

わたしからすると、せっかくの石ころを拾ってどけるなんて、とんでもない!

石ころに気づいて、自分で避ける方法を考えるかもしれないし、気づかずに転んでしまったら、起き上がる方法を考えればいい。

「自分でした失敗から学ぶことは大きい」とわたしは考えています。

わたしと彼女とは、「子どもの前の石ころ」についての考えが全く違うということが分かってから、
彼女の意見が理解できるようになりました。

同意はできませんよ。

でも、今まで「??」だった彼女の発言が「理解できる」ようになりました。

子どもの前の石ころが、
「避けるべき邪魔なもの」=「悪いもの」
「子どもの成長に役立つかもしれない種」=「良いもの」

どちらの考えが良くて、どちらの考えが悪い、というものではないと思います。

どちらも、根っこの部分の「子どもを大事に思う」気持ちは同じです。

考え方は人それぞれです。

彼女が、「わたしは子どもの前に落ちている石は、全部拾ってあげたい」と思っていることで、
彼女のお子さんが、お母さんがいないと何もできない子かというと、そうではありません。

周りのことによく気が付き、しっかりしていて、うちの子もよく助けてもらっています。

彼女がポツリとつぶやいた一言で、彼女と意見と合わないことが多いのはなぜだろう、というモヤモヤがスッキリ解決された、ということが、わたしの学びでした。

きっと、彼女もわたしと意見が合わないことを感じていて、分かりやすい言い方で教えてくれたのかもしれません。

このことを聞いてから、彼女との付き合いが楽になりました。

『人はそれぞれかけている眼鏡が違う、みんな自分の眼鏡を通して物事を見ている』

このことが分かると、人付き合いが楽になります。

それにしても、「子どもの前に落ちている石ころ」って、考え方がよく分かるいいネタだな、と思いました。

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